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横浜市立大医学部卒業後、26歳でiPS細胞から「ミニ肝臓」を作る技術を発表。現在は米シンシナティ小児病院准教授と横浜市大、東京医科歯科大教授も務める。
撮影:鈴木愛子
再生医療研究の最前線に立つ武部貴則(32)は、実にユニークなキャリアの道筋を歩んできた。
医学部出身で医師免許を持つが、医者ではない。研修以外で診療をしたことはない。現在の活躍ぶりにつながる分岐点になったのが、24歳の時のある“決断”だった。
横浜市立大学医学部で学んでいた武部は、卒業を間近に控えた頃、外科の修業で移植手術のメッカであるアメリカ・コロンビア大学に留学。移植手術で重篤な肝臓病を患う患者を救う得難い経験ができた一方で、ドナー不足で待機リストに載る多くの「救えない命」の存在を知り、ある種の敗北感も味わう。実際アメリカでは、年間で約10万人もの患者が、臓器移植を待つ間に亡くなるという現実がある。
「『大医』として万人を助けなさい」
帰国後、武部は決断する。
より多くの命を救う医療を実現するために、研究者としての道を歩もう——。
武部はかつて、外科医の傍ら研究を続ける先輩からかけられた言葉を思い出していた。
「僕は目の前の『1人』を診る。武部君は基礎研究者になり、『大医』として万人を助けなさい」
武部は医学部2年の頃から、横浜市大教授の谷口英樹(56)が主宰する「臓器再生医学研究室」に通っていた。谷口から出されたテーマは、「軟骨の再生」の研究。ここで基礎研究のいろはを学んだ。
その際、世話になったのが、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院で外科の修業を終えたばかりの小林眞司(55)だ。小林は現在、神奈川県立こども医療センターの外科部長で、夜な夜な実験に明け暮れる武部を横で見て応援してくれた恩人だ。
当時、小林が寿司屋に連れ出してくれたことがある。そこで「大医に」と助言された。研究に本腰を入れたいなら、目先のことよりも、もっとたくさんの患者を救えるような存在になって欲しいと。
臨床医としての道を捨てる
武部が留学したコロンビア大学。移植先進地のアメリカでも、「ドナー不足」で多くの救えない命が存在することを知った。
shutterstock
コロンビア大学の留学後、横浜市大の幹部からこんな誘いが待っていた。
「卒業したら、このまま(谷口研で)研究を続けてみないか。助手の席を用意する」
それは願ってもない好機であると同時に、苦渋の選択でもあった。イエスと言えば医学部卒業後、医師免許を取得した後に必要な2年間の初期臨床研修を受けられない。つまり医者の道を断念することになる。
基礎研究者として身を立てるにしても、2年間の初期臨床研修を受けてからというのが通常コースだ。多くの人は、せっかく医学部を出たのに医者にもなれず、研究者としても失敗したら食いっぱぐれる、と考える。だが、武部は逆の発想から決断に踏み切った。
〈臨床研修を経て博士課程まで終えたら、フルで研究できる時にはもう30歳。最もクリエイティブにものが考えられる時期を逃してしまう。挑戦するなら、今しかない!〉
成功イメージから逆算した3年の期限
撮影:鈴木愛子
周囲の誰もが止める中、臨床研修も博士課程もすっ飛ばし、すぐに研究の道に入ると宣言した武部の決断に、上司の谷口は舌を巻いた。武部の覚悟は、「3年で結果を出せなかったら、研究を辞めます」と念書を書いて提出してきたことからも伝わってきたと谷口は言う。
武部に尋ねた。もし研究者として結果を出せなかったら?というリスクは考えなかったのか、と。
「僕はすごく楽天家なので、まず、すべてがうまくいった時にどうなるのかという自分を思い描く。その成功イメージを頭に置いて、その選択をしなかった場合のリスクを考えるんです。『やっぱり、あの時挑戦しておくべきだった』と悔やむ方がリスクじゃないかと。でも、漫然と研究をやっててもダメだなと。だからあえて、3年という期限を自分に課しました」
全力投球してみて3年間も取り組めば、自分がこの道でやっていけるかどうかの判断はできると。武部の中に、「自分で設けた期限の中で、自分でリスク判定をすればよい」という割り切りがあったのだ。
「すべては、自分が成功するという可能性からの逆算ですね。だからこそ、『3年で世界トップクラスの科学誌に論文を載せる!』というゴール達成にコミットしようという意識が生まれたんじゃないかと思いますね」
「無駄」をあえて取り入れる
鉄則から外れる研究法も厭わない。好きな言葉は、偶然から幸運をつかみ取る能力、と いった意味の「セレンディピティ」。
撮影:鈴木愛子
この逆算の発想は、研究そのものにも生きる。
従来、再生医学の中でも臓器の研究では、「臓器→組織→細胞→分子→原子」とどんどん小さな単位に分解して理解していく、「リダクショニズム(要素還元主義)」に基づく考え方が主流だった。それは、きれいに証明ができて、再現もしやすい「ピュアな研究」と言える。
だからこそ肝臓なら肝臓の細胞だけ、という風に、iPS細胞を純粋に成熟した細胞へ育てていく手法が採られていたわけだが、なかなか有効な細胞を作り出せていなかった。
武部の場合は真逆で、従来は無駄として排除されてきた「脇役」も含め、ミックスされた構造物を目指そうとした。その中で、臓器というものを網羅的に理解しようと考えた。それが、「ミニ肝臓」の画期的な発見につながった。無駄と思われていたものをあえて取り入れる手法は、今も武部の研究室では基本のスタイルだという。
「ミニ肝臓の研究は、当初は『汚い研究』と言われたんですよ。網羅的に理解するというのは、半分は人間がお膳立てをしつつも、半分は生物が本来持つ力に委ねるということなんですが、科学者の中には合理的に説明できない部分が含まれるのは許せないという人もいますから。
それに対し僕は、機能や細胞間の連携が複雑な臓器は、まるごと理解した方が問題解決の糸口が見つかりやすいと考えます。全部を理詰めで考える人たちが絶対考えないような視点を取り入れたいし、その方が彼らとの違いも生きると思ったんです」
独創性の高さから、医学部時代の友人には「ギアが1個違う」と言われる武部。だが、少年期には人生のあり方が反転するほどの苦い経験も味わった。(敬称略、明日に続く)
(文・古川雅子、写真・鈴木愛子)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。
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December 10, 2019 at 09:31AM
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