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『日本沈没』後の科学技術の進歩と知見の蓄積 | 「レビュー(本・小説)」 - カドブン

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:山岡 耕春 / 名古屋大学大学院環境学研究科地震火山研究センター教授)

 久しぶりに『日本沈没』の原作を読み返した。心なしか心拍数が早くなり、どんどん本に引き込まれていくのを感じる。二〇一一年の東日本大震災のゆれを東京出張中に体験し、テレビの映像に目がくぎけになったときの感覚に似ている。大学で地震や火山の研究をしているという職業柄、日本や海外の大地震や火山噴火が発生すると自分自身で解析をしないまでも、夢中で情報を集めることが多い。本書を読むと、そのときの感覚がよみがえり、頭のどこかで現実に起きていることと錯覚してしまう。本を閉じると我に返り、あんを覚える。小説が執筆された一九七三年から五〇年近い時を超えていまだ価値を失わないことが実感される。

『日本沈没』は二十世紀を代表するSF作家まつきよう(一九三一─二〇一一)の代表作である。一九七三年に小説が発表されるとその衝撃的な内容が大きな話題となり、映画が製作されたり、テレビドラマ、ラジオドラマで放送され、当時の日本人にとって忘れられない作品となった。地球科学上の大革命をもたらしたプレートテクトニクスやマントル対流を小説の根幹に据え、日本が沈没するという奇想天外な設定を気象学のアナロジーによる説得力のある仮説で支えた。日本列島の大変動を前にした科学者、政治家、官僚の行動、日本人の移住先の外国との交渉など、日本列島を襲う破局的大災害を前にした人の行動も迫力を持って描かれている。日本沈没の過程で発生する京都、東京、西日本の災害で、犠牲者数が冷たい数字として積み上がっていく容赦ない恐ろしさが迫る。その一方で、日本列島の自然に根ざした日本の歴史・文化や日本人の考え方についても深い洞察によって表現されている。このような『日本沈没』の多面性が、小説発表当時、多くの多様な読者を引きつけたのであり、その普遍性がいまでも魅力を失わない理由であろう。



 その『日本沈没』も、発表からすでに五〇年近く経過し、小説を屋台骨として支える科学技術や地球科学の知見が大きく進歩した。もはや小説の中の科学の記述が陳腐化しているのではと思われる読者がいるかもしれない。そこで、小説中で扱われる科学技術や、地震や火山に関する知見の、その後の進歩や発展を検証してみたい。

『日本沈没』の兆候は、東京駅の建物にできたれつでらが発見したことから始まる。兆候は東京駅にとどまらず、第二新幹線の工事現場での測量のやり直し、愛知県のとうめい高速道路での橋の落下による大事故など、異常な地殻変動を原因とする現象として各地で発生していた。小説が発表された一九七三年には日本列島全域をカバーする地殻変動の観測網はまだ存在しなかった。そのため、現場で人間が見聞きする様々な異常が個別の異常現象に留まり、広域の異常として把握されるには至らなかった。唯一、どころ博士のみが全体を貫く仮説を持っていた。これがもし二〇二〇年の今だったら、全国に張り巡らされた地殻変動の観測ネットワークによって、たちどころに異常が発見され、多くの研究者の注目を集めることになるだろう。

 日本列島の地殻変動は、陸上については国土地理院のGEONETと名付けられたネットワークが一九九〇年代から運用されている。現在全国の約一三〇〇箇所に電子基準点としてGNSSが設置され、地盤が数ミリ移動しても即座にとらえられる体制が整えられている。なお、GNSSとはGPSなどの人工衛星を用いたナビゲーションシステムの総称である。海域においては、海底ケーブルを使用した地震および津波観測網が東日本大震災後に関東・東北・北海道沖の海底に設置された。津波計は海底で圧力を測定するので、地殻変動による上下の動きも検出することができる。ケーブルを用いない海底の地殻変動観測も行われている。海底に海底局と呼んでいる装置を降ろし、観測船と海底局との間の距離を音波で測定する。音波を用いるのは、GNSSの電波が海水中を伝わらないためである。海上にいる観測船の位置はGNSSで測定し、音波による海底局の位置測定と組み合わせて、海底局の場所を計算する。最近では人工衛星のレーダーを用いた測定も活躍している。これは、人工衛星から地表に向けて合成開口レーダーと呼ばれる指向性の高いレーダー波を放射し、地表で散乱して戻ってきたレーダー波から地表の地形を測定する手法である。さらに合成開口レーダーの測定を繰り返すことで1㎝程度の精度で地殻変動を推定することもできる。現在では、このような高精度の観測により、どこでどのような変動が起きたかを知ることができるようになった。さらにコンピュータの能力の飛躍的な向上により、変動の原因推定も瞬時に可能となった。地殻変動を引き起こす断層運動やマグマの動きなども、かなりの確実性を持って推定することができるようになっている。



『日本沈没』のメカニズムの本質はマントル対流である。小説では、まず地球を卵にたとえ、黄身を核(中心核)、白身をマントル、殻を地殻に対応させている。核は内核と外核に分かれ、内核は固体、外核は液体、マントルと地殻は固体である。その固体のマントルの対流が日本を沈没させる原因となっている。小説では、温暖前線や寒冷前線などを形成する大気中の対流をアナロジーとして用いて、日本沈没のしくみを説明している。大気は温められると軽くなり、冷えると重くなる。マントルも同様に、暖かいマントルは上昇し、冷たいマントルは下降する。そのマントル対流のパターンが急激に変化して日本が沈没するというのである。

 当時地球科学の世界で確立しつつあったプレートテクトニクスは、一九一二年にウェゲナーが提唱したものの忘れ去られていた大陸移動説を科学の表舞台に引っ張り出した。主役は海底の調査で明らかになった地磁気のしまようである。海洋底に長く連なるかいれいの両側の地磁気の強さが海嶺を軸にした対称の縞模様となっていることが発見されたからである。これは海嶺でプレートが生まれ、年間五~一〇㎝の速度で両側に拡大していることを表している。海嶺で生まれたプレートは数千万年から一億年もの時間をかけて海底を移動し、海溝で地球の中に沈み込んでいく。このようなプレートの動きと、マントル対流パターンとの関係は当時よくわかっていなかった。海嶺がマントルの上昇流に対応し、海溝がマントルの下降流に対応すると漠然と考えられていた。

 マントル対流のパターンを明らかにしたのは地震波を用いたトモグラフィーである。世界中で発生する多くの地震を、世界中のこれまた多くの地震計で観測したデータを用い、地震波が地球の内部を伝わる速度の分布を推定し、マントルが上昇する場所と下降する場所を明らかにした。その結果、日本列島のような海溝沿いではやはりマントルが下降していることがわかった。その一方、マントルが上昇する場所は海嶺とは無関係であり、南太平洋などで上昇していることが明らかになったのである。これはプレートの動きが主に海溝でのマントル下降流で駆動されていることも表している。

 日本列島のような島弧と呼ばれる地形の成因もプレートテクトニクスの考え方によって次第に整理されてきた。プレートが海溝から地球内部に沈み込むとき、プレートに載っていたたいせき物や火山島が島弧に付加することで島弧が成長する。現在日本列島の陸地で見られる石灰岩はかつて火山島の周りに発達したさんしようである。チャートという岩石は深海底に積もったけいさん質の殻を持ったプランクトンのがいである。海底のプレートに載った様々なものが島弧に付加して今の日本列島に見られる岩石を形成したのである。このようなプロセスでできた地層を付加体と呼んでいる。島弧のもう一つの特徴は火山である。冷たいプレートが海溝から沈み込む場所で岩石が溶けてマグマができることは長らく謎であった。その謎は、一九八〇年代に、水がマントルの融点を下げることが明らかになって解決された。沈み込んだプレート表面の岩石に含まれた水分がマントルに放出され、日本列島の地下深部でマグマができるのである。できたマグマは浮力で上昇して地殻に入り込み、日本列島を内側から成長させる。火山噴火はそのマグマのごく一部が地表に噴出するときの現象である。

 いまや確立したプレートテクトニクスであるが、小説当時はプレートの動きを直接測定する技術が無かった。海底の地磁気の縞模様、海底の地形、島弧における地震発生など間接的で地味な証拠の積み重ねによって、プレートテクトニクスは揺るぎない真実になっていったが、プレートの運動を直接測定できるようになるには、VLBIやGPSの技術開発を待つ必要があった。VLBI(超長基線電波干渉計)とは地球から数十億光年の距離にあるクエーサーとよばれる星からの電波を、地球上の複数のアンテナで受信し、相互の信号波形を比較して得た時間差の変化からアンテナ間の距離変化を知る方法である。VLBIによってプレートの動きが測定できるようになったのは一九八〇年代になってからである。そのVLBIもすぐにGPSに取って代わられた。GPS(全地球測位システム)はアメリカが運用を始めた人工衛星網による測位システムである。人工衛星から原子時計に同期した信号を地表に向けて放射し、地表で受信した場所の位置を正確に知ることができる。一九九〇年代には、GPSによってプレートに載った火山島が陸地に向かって動いてくる様子もわかるようになった。

 地震のマグニチュードに関する理解も小説が書かれた当時よりも大きく進んだ。小説では、「これまでは、M(マグニチュード)八・六以上の地震は起こらなかったかもしれん」と田所博士が語っている。しかし、実は、小説が発表される前の一九六〇年に発生したチリ地震はM九・五であったことが今ではわかっている。それは、モーメントマグニチュードという概念がその後の研究で確立したからである。モーメントマグニチュードは、地震によってずれ動く断層の面積と断層のずれ動きの大きさのかけ算から計算するマグニチュードである。チリ地震は海溝に沿って長さ一〇〇〇㎞、幅二〇〇㎞が断層となった。ずれ動いた大きさも一〇~一五m程度と推定されている。このくらい断層が巨大になるとずれが始まってから終わるまでかなり時間がかかる。チリ地震では約二〇〇秒と推定されている。小説の当時、地震のマグニチュードは周期約二〇秒の表面波という種類の波を使って計算されていた。そのため二〇〇秒もかかって発生するような超巨大地震の全体像を捉えることができなかったのである。今では、数百秒もの長周期の震動を計測できる高性能の地震計が開発され、迅速にモーメントマグニチュードが計算できるようになった。

『日本沈没』執筆以降の科学技術の進歩は著しいが、それでも災害時の描写はその後の地震災害を見通していたかのようである。地震時の詳細で迫真の描写はすごい。例えば、「第二次関東大地震」発生時「卓上電子計算機が、コードを後にひきながら、飛んできて、山崎のすぐ横の壁にガシャッとぶつかった」ことは、後のはんしんあわ大震災で、テレビが飛んだという多くの証言と一致する。また「震災というものの常として、これらのこと(火災など様々な被害)が、広い東京のあちこちできわめて短い時間の間に一斉に起こった」ことも、地震災害の本質を見抜いた鋭い表現であり、小松左京のSF作家としての非凡さを端的に表している。さらに「車なんか、手にはいらんぜ。ガソリン節約でひどいもんだ」というのも東日本大震災における被災地の深刻なガソリン不足を見抜いている。

 地震の専門家として苦笑せざるを得ない表現もあった。日本がどんどん沈没していく様子が世界中に報道され、注目を集める中で「とりわけはげしい、気も転倒せんばかりの興奮の渦にまきこまれていたのが、世界中の地質学者、地球物理学者たちだったことはいうまでもない」ことである。地震発生や火山噴火は、地震や火山活動の研究者にとって新たな知見を得るための「『千載一遇』の大異変」(小説中の表現)である。不謹慎かもしれないが、専門家が興奮して研究を進めることで地震や火山などの災害の科学が進歩し、対策が進むのである。科学技術の進歩にもかかわらず自然災害と人間の本質は変わらない。『日本沈没』が五〇年もの長きにわたって人々を引きつけ続ける理由であろう。

二〇二〇年三月

小松左京『日本沈没』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000653/ ※上巻


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