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科学的に偏った情報提供はどこまで許されるか - 黒沢大陸|論座 - 朝日新聞社の言論サイト - asahi.com

 新型コロナウイルス対策をめぐり、科学と政治の距離を問う論調が目につくようになった。コロナ対策で専門家と政策決定者が果たすべき役割のあり方については、首を傾げることが少なくなかった。これは、医療分野に限られたことではなく、いまに始まったことでもない。防災や原子力など科学が政策決定に深く関連する分野で繰り返されてきたことだ。9月1日は防災の日、南海トラフの地震のリスクに関する情報提供の問題から、科学的な情報の扱い方について再考した。

参考値にとどまった東海地震の発生確率

拡大南海トラフの地震で想定された津波への対策として設けられた津波避難タワー=静岡県焼津市、筆者撮影
 その数字は、めだたないところに書かれていた。2005年3月、政府の地震調査研究推進本部が「全国を概観した地震動予測地図」を公表した。全国各地で大きな地震に見舞われる確率がどれくらいかを示した地図だ。地図の作成のためには、各地で起きそうな地震の発生確率と地震の揺れに強いかどうかの地盤データが必要。「明日起きても不思議ではない」と言われてきた「東海地震」がどのくらいの確率として設定されたかも注目されたが、さまざまな想定地震の確率を示した一覧表にはなく、121ページにわたる報告書の108ページ目に「30年以内 86%(参考値)」と別枠で書かれていた。

 この数字について尋ねると、担当者から信頼性が高くない「参考値」であると強調され、数字を記事に書かれたくない意思を強く感じた。報告書には、宮城県沖地震の「99%」など、もっと高い確率の地震も記載され、長年、防災対策が続けられてきた東海地震への警戒が低くなるという悪影響を懸念していると聞かされた。もちろん、記事に書いた。行政が隠そうとする都合の悪いことも報じるのは記者の責務だ。86%でも十分に高い数字なので、備えが緩むとは心配しすぎだと思ったが、「明日起きても……」を掲げて対策を続けてきた以上、看過できなかったようだ。

二重基準が続く南海トラフ地震

 東日本大震災後、南海トラフは全体でマグニチュード(M)9という巨大地震が想定され、単独の東海地震への関心は薄れた。しかし、南海トラフの地震自体、他の地域とは違った計算方法で高めに見積もられた数字を政府が公表している。この二重基準やM9の想定が妥当かという問題は、専門家の間では問題視されてきたが、社会の関心を集めてこなかった。

 地震の発生確率の算出方法について簡単に説明すると、海溝型地震や活断層で起きる地震は、同じ場所で同様の地震が繰り返されると想定して、過去の地震の繰り返し間隔と最後に起きた地震からの経過年数をもとに、今後の一定期間内に次の地震が起きる確率を計算する。ある場所で、地震が起きる間隔が短く、前の地震が起きてからの期間が長いほど、地震が差し迫っていることになる。

拡大時間予測モデルに使われる室津港の隆起量を示したグラフ。この仮説では、経過を示す赤い線と平均的隆起速度を示す水色の線が交わる2034年ごろに次の地震が起きると推定される(地震調査研究推進本部の資料から)
 ところが、南海トラフだけは「時間予測モデル」という仮説を採用している。これは、南海トラフに面した高知県の室津港が大地震の起きるたびに隆起しており、その隆起量と発生間隔から階段状のグラフを作って、次の地震が起きそうな時期を予測する。これによって計算された発生確率は、30年以内に70~80%と公表され、これが一般に広く知れ渡っている。非常に差し迫った印象があり、防災を促す便利な数字として使われている。一方、政府は他の地域と同じ一般的な手法でも計算している。過去に起きた地震の記録についての信頼度もあって5通り計算しており、それぞれ30年以内に発生する確率は10%、6%、20%、10%、30%となっている。

 時間予測モデルは、駿河湾から日向灘まで伸びる南海トラフで起きる地震を室津港のデータだけで推測してしまうという無理な前提もあり、政府が前面に押し出す数字でありながら、研究者から懐疑的な意見も多い。

 この問題を伝えようと、公平性が重要な地震保険の料率算出には使われていないことを知り、「地震リスク、異なる基準 家庭向け地震保険料改定、政府予測とズレ」という記事を書いたり、地震についての講演を頼まれたときに説明したりしてきた。論座でも「平成は『大災害の時代』だったのか」で触れた。しかし、社会に広く認識されるには至らず、はがゆく思ってきた。

高い発生確率は「水増し」

拡大東日本大震災の津波で陸上に打ち上げられた船=宮城県気仙沼市、筆者撮影
 この問題については、中日新聞が2019年10月から「南海トラフ 80%の内幕」という連載記事を7回にわたり掲載して注目された(東京新聞のサイト「南海トラフ 80%の内幕」で読むことができる)。名古屋大学の鷺谷威教授への取材で、南海トラフの高い確率について「水増しをしているんですよ。ある部分だけえこひいきされ、そこには意図が隠れているんです」と聞き、確率を策定する会議でも異論が出ていたことを知った記者が、発生確率の改定が議論された会議の議事録を情報公開請求して議論の様子を丹念に読み解いた労作だ。

 連載では、南海トラフだけで採用され、信頼性に疑問を投げかけられていることから、確率公表をやめることや、「80%」という高確率の数字ではなく他の地域と同じ方法で計算した「20%」を示すこと、両方を示すことを地震学者らが提案したが、防災関係の学者が社会への悪影響を懸念して猛反対した様子が描かれた。議論では、「南海トラフは備えを急がなければならない。理解を得るためには発生確率が高いということ。下げると『税金を優先的に投入して対策を練る必要がない』『優先順位はもっと下げてもいい』と集中砲火を浴びる」「何かを動かすときにはまずお金を取らないと動かないんです。これを必死でやっているところに、こんなことを言われちゃったら根底から覆る」といった生々しい発言もあり、科学的に公正だが低い確率ではなく、科学的には問題があるが防災目的に沿うと考えられた高い確率を使い続けることになった。

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August 30, 2020 at 02:00PM
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