シリア内戦では、シリア軍、イスラーム国、そして反体制派による化学兵器使用疑惑事件が頻発し、それが欧米諸国の干渉を助長してきた。
2013年8月のダマスカス郊外県グータ地方各所でのシリア軍によるとされるサリン・ガス使用疑惑事件では、バラク・オバマ米前政権が軍事介入を準備、シリア政府はロシアの後援を受けて化学兵器禁止機関(OPCW)に加盟し、保有していた化学兵器を廃棄することで事なきを得た。2017年4月にはイドリブ県のハーン・シャイフーン市で、また2018年4月にはダマスカス郊外県東グータ地方ドゥーマー市で、シリア軍によるとされる化学兵器(あるいは塩素ガス)使用疑惑事件が発生、ドナルド・トランプ米政権はシリア各所にミサイル攻撃を行った。
止むことのない化学兵器使用疑惑
2019年にも化学兵器使用疑惑はたびたび浮上した。
国営のシリア・アラブ通信(SANA)は3月23日、「武装テロ集団」が有毒ガスを装填した砲弾でハマー県北部のラスィーフ村とアズィーズィーヤ村を攻撃し、住民21人が呼吸困難、炎症などを訴えたと伝えた。
また、ロシアとシリア政府は、ハマー県北部とイドリブ県南部への進攻が本格化した4月末以降、反体制派が化学兵器を使おうとしていると警鐘を鳴らしてきた。その内容は、シリアのアル=カーイダであるシャーム解放機構とホワイト・ヘルメットが、西欧出身の専門家の支援を受けて、住民に対して塩素ガスを使用し、シリア軍の犯行と見せ掛ける作戦を準備していると言ったものだった。
シリア軍も化学兵器の使用を疑われた。イバー・ネットを名乗るサイトは5月19日、シリア軍が化学兵器を使用したと報道し、反体制系サイトや活動家がこれをネットで拡散した。新たな攻撃が行われたとされたのは、ラタキア県北東部のクルド山地方カッバーナ村のクバイナ丘で、攻撃に使用された砲弾3発には塩素と思われる有毒物質が装填されていたと伝えられた。
ベルギーに拠点を置き、シリア軍の化学兵器使用を追及してきた反体制系NGOの化学兵器違反記録センター(CVDCS)も、複数の目撃者や医師の証言として、砲弾が爆発した直後に黄色の煙が上がり、少なくとも4人が目の充血や呼吸困難といった症状を訴えたとする報告書を発表した。
情報源のイバー・ネットは、シャーム解放機構に近いとされるプロパガンダ・サイトで、イスラーム国に近いアアマーク通信と同じく、発信する情報には疑わしいものが多かった――むろん、SANAやロシアのRT、スプートニク・ニュースが発信する情報についても、そのほとんどがフェイクだとの主張も散見される。また、そもそも紛争下では、ありとあらゆる情報、そして諜報(インテリジェンス)をプロパガンダと疑ってかかる必要があることは言うまでもない。
米国の優柔不断
シリア軍とロシア国防省はニュースを即座に否定した。だが、それだけではなかった。欧米諸国の主要メディアや政府も真剣に取り合おうとはしなかった。
米国は、国務省報道官が「もしバッシャール・アサド政権が化学兵器を使用したら、米国とその同盟国は即座にそして適切に対応する」と警告を発したが、行動に訴えることはなかった。マイク・ポンペオ米国務長官は4ヶ月後の9月26日、「アサド体制が(ラタキア県ではなくイドリブ県のハーン・シャイフーン市で)塩素ガスを使用したことを確認した」と発表した。だが「これはある意味(これまでの化学兵器使用疑惑と)異なっている。なぜなら塩素だからだ」と付言、化学兵器は使用されていないとの妙論を展開した。
塩素ガスは、厳密な意味での化学兵器ではない。だが、2015年3月に採択された国連安保理決議第2209号において、シリア国内での使用は禁止されていた。塩素ガス使用を追及しないというスタンスは、2015年5月に「塩素は歴史的には化学兵器には挙げられない」と述べたオバマ前大統領の優柔不断に似ていた。なお、米英仏によるミサイル攻撃の根拠となった2018年4月のドゥーマー市での化学兵器使用疑惑事件では塩素ガスが使用されたという。
ハマー県北部の事件もラタキア県の事件も、真相は闇のなかだ。だが、筆者がこれまでたびたび指摘してきた通り、化学兵器は、使用された側に物理的、あるいは心理的な打撃を与える以上に、使用した側が非道さや残忍さを非難され、政治的、軍事的に窮地に立たされる。言い換えると、それは、使用を断じる当事者に政治的、軍事的な優位を与える兵器なのである。
2019年の戦況を踏まえた場合、シリア軍が使用したとする反体制派の情報発信は、彼らが窮地に立たされていたがゆえに、劣勢打開のための欧米諸国の介入を誘い込む効果を狙っている。一方、シリア政府側からの情報発信、すなわち反体制派が使用したとの主張は、彼らの非道さや残忍さをアピールし、軍事攻勢を正当化することができる。反体制派がシリア軍による化学兵器使用を偽装すること、あるいはその逆にシリア軍が反体制派の使用を偽装することは、このような狙いに沿っていると考える必要がある。誰が化学兵器を使うにせよ、それが無垢の市民を虐殺したり、敵を殲滅することを目的にはしていないのである。
2018年のドゥーマー市での塩素ガス使用疑惑事件の調査結果の真相
化学兵器使用疑惑事件が散発を続けるなか、2018年4月のドゥーマー市での塩素ガス使用疑惑事件についての事実調査団(FFM)の最終調査報告書(S/1731/2019)が2019年3月にOPCWから発表された(事件の詳細については「シリア化学兵器(塩素ガス)使用疑惑事件と米英仏の攻撃をめぐる“謎”」、「ドゥーマー市での化学兵器使用疑惑事件をめぐって利用され続けるシリアの子供たち」、「効果のない化学兵器攻撃、意味のない報復ミサイル攻撃:シリア情勢2018(4)」を参照)。
報告書のなかで、FFMは塩素ガスと思われる有毒物質を装填したシリンダーが使用されたと信じるに足る「合理的根拠」(reasonable grouds)があるとしたうえで、このシリンダーが空中から投下されたと付言、シリア軍が使用したと事実上断定した。
欧米諸国はこの報告書を支持した。だが、シリア政府はロシアとともに、「事実からの深刻な逸脱、多くの矛盾、一貫性の欠如」だとして拒否、OPCWが「周知の一部諸外国」の圧力に屈したと非難した。
こうした意見の相違はいつものことだった。
リークされた機密文書
だがFMMの最終調査報告書が発表されてから2ヶ月を経た5月、その内容を否定する機密文書がリークされた。
リークされたのは「ドゥーマー事件で調査された二つのシリンダーについてのエンジニアリング・アセスメント」と題された機密文書の最終ドラフトだった。作成したのは、OPCWの重鎮の一人であるイアン・ヘンダーソン検査官で、作成日は2019年2月1~27日。15ページからなり、ヘッダーには「未分類-OPCW機密、回覧禁止」と書かれていた。
FMMの最終調査報告書が発表される直前に作成・回付された機密文書は、空中から投下されたはずのシリンダーが、その軽微な損傷ゆえに発見現場に「手で置かれた」(manually placed)可能性が高いと指摘していたのである。
機密文書をリークしたのは「シリア、プロパガンダ、メディアに関する作業グループ」(Working Group on Syria, Propaganda and Media)で、シリア軍の化学兵器使用について疑義を呈してきたジャーナリストのヴァネッサ・ビーリーらが参加する組織だ。「アサド政権支持者」との非難を浴びるグループが発信源だったこともあり、当初は機密文書を偽ものだとする見方も散見された。
だが、疑惑は高まるばかりだった。英『メール・オン・サンデー』紙は11月23日、FMMの中間報告書(技術評価報告書)の内容が検閲を受けて改ざんされたと伝え、検閲に抗議するメールでのメッセージの存在を明らかにしたのだ。
改ざんされる前の中間報告書では、ヘンダーソン検査官のエンジニアリング・アセスメントを受けて、こう指摘していたという。
また検出された塩素が微量で、どの家庭にもある程度の量で、次のようにも記されていた。
『メール・オン・サンデー』紙はさらに12月15日、OPCW幹部が、化学兵器が装填されているシリンダーが空中から投下されたという主張に反する文書の「すべての痕跡を消し去る」よう要請していたと伝えた。
それによると、ヘンダーソン検査官が、自身の調査内容を最終報告書に盛り込もうと試みたが、削除されたために、文書記録アーカイブ(DRA)で文書を保管した。だが、ヴォルドモートと呼ばれるOPCWの幹部が、この文書だけでなく、送付記録、さらにはストレージなど文書にかかるすべての痕跡を消し去るよう命じたのだという。
ウィキリークも12月27日、シリア軍による塩素ガス使用の可能性を否定する会合の議事録、現場での証拠ねつ造の可能性を指摘する文書の削除を指示するOPCWの幹部の電子メールのメッセージなど4点を新たに公開し、『メール・オン・サンデー』の報道内容を裏打ちした。
公開された文書の一つは、2018年6月6日の会議の議事録で、OPCWが毒物学者、臨床薬理学者、法医学者、生物分析学者4人と行った会合において作成され、被害者の症状が塩素ガスによる症状と一致するかについて意見を聴取するのが目的だった。議事録によると、専門家は、症状は塩素ガスによるものではないとの結論づけるとともに、症状を引き起こす原因となった化学物質も特定できないと述べたという。
二つ目の文書は2019年2月27日と28日にやりとりされた電子メールのメッセージだった。そのなかには、OPCW幹部(Chief of Cabinet)はセバスチアン・ブラハ(Sebastien Braha)が送信したメッセージも含まれており、そこにはこう書かれていた。
削除された文書は、ヘンダーソン検査官が作成した中間報告書で、ドゥーマー市でシリア軍が投下したとされるシリンダー2本が、高所から投下されたのではなく、手で運ばれ、現場に置かれた可能性が高いと指摘していた。だが、最終報告書においてこの文言が削除されていたのは前述の通りだ。
三つ目の文書は、2018年8月20日から28日までの毒物学者との会議について議論したOPCWとの電子メールのメッセージのやりとりのコピーだった。
四つ目の文書は、2018年7月末の電子メールのメッセージで、ドゥーマー市での調査に参加した事実調査団(FFM)の8人のうちの7人をプロジェクトに関する議論から除外すべきだと書かれていた。
役割を終えたホワイト・ヘルメット
シリア軍による化学兵器使用に関する情報は、多くの場合、反体制派、ないしは反体制派支配地域の住民から提供された。そのなかでもっとも重要な情報提供者がホワイト・ヘルメットだった。ホワイト・ヘルメットは、2018年4月のドゥーマー市での事件の現場の情報を唯一発信した組織だった。
化学兵器疑惑事件への疑惑が強まるなか、ホワイト・ヘルメットにも大きな事件が起きた。11月11日早朝、創設者の英国人ジェームズ・ルムジュリアーがトルコのイスタンブールのベイオール地区の自宅近くで、警察によって遺体で発見されたのである。
ルムジュリアーは、サンドハースト王立陸軍士官学校を卒業後、北大西洋条約機構(NATO)の諜報部門や国連英国代表部に勤務、コソボ、イスラエル、イラク、レバノンなどで20年以上にわたり職務にあたった。その後2000年代半ばに民間に移籍し、アラブ首長国連邦(UAE)に拠点を置く危機管理会社「グッド・ハーバー・インターナショナル」のコンサルタントとなった。このルムジュリアーが、欧米諸国などから寄せられた資金を元手に、2013年3月からトルコのイスタンブールでシリア人の教練を開始し、ホワイト・ヘルメットを結成した。
彼はまた、2014年に「メイデイ・レスキュー」と称するNGOをオランダで立ち上げ、この団体を経由して、米国、英国、ドイツ、日本といった国はホワイト・ヘルメットに資金を供与した(『シリア情勢:終わらない人道危機(岩波新書新赤版1651)』(岩波書店、2017年)を参照)。
だが、情報は錯綜した。反体制系メディアのドゥラル・シャーミーヤは、匿名の人権活動家の話として、ルムジュリアーが自宅前ではなく、自宅で発見されたと伝え、また英国の外交官は、死因は不明だが、他殺の可能性が高いと述べた。
イスタンブール県法医学研究所は12月16日、ルムジュリアーの検死結果を発表、死因を「高所から落下したことによる内出血と骨折」と結論づけた。またAFPは複数の消息筋の話として、現場から第三者のDNAを検出されておらず、トルコ警察は自殺として事件に対応する見込みだと伝えた。さらに、トルコのメディアは、ルムジュリアーが精神疾患を煩い介護を求めており、また婦人も警察に、死の2週間前から同氏が自殺しようとしていたと証言したと伝えた。
ルムジュリアーの死についてトルコから発信された情報は、それ自体に矛盾点は見られない。だが、ホワイト・ヘルメットが関与していたと指摘されてきた化学兵器疑惑事件への疑義が強まるなかでの死は示唆的である。
アサド大統領はルジュムリアが遺体で発見されたのと同じ11月11日、ロシアのRTのインタビューに応じ、ホワイト・ヘルメットに関してこう述べた。
実はここで言う「彼」はルジュムリアのことではなく、イスラーム国のアブー・バクル・バグダーディー指導者を指している。だが、ルムジュリアーの死をタイミングは、バグダーディーと同じく、シリア内戦においてホワイト・ヘルメットが果たすべき役割と存在意義が失われたことを期せずして示すものだった。
(「イスラーム国に対する勝利宣言」に続く)
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February 20, 2020 at 04:01AM
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