脳科学や神経科学という言葉を聞いたことはあったが、ニューロテクノロジーという言葉は知らなかった。近年、急速に研究が進むこの分野の研究を実際のビジネスに生かしていこうという試みのようだ。本書『ニューロテクノロジー』(茨木拓也著、技術評論社)はこの分野の技術の応用の豊かな可能性を示してくれる。著者は早稲田大文学部心理学科を出て東大医学系研究科大学院で脳神経医学を専攻した。現在はNTTデータ経営研究所で企業向けのコンサルタントをしている。
欧米の有力大学で進む「消費者神経科学」研究
この分野は非常に学際的で、「脳と神経科学に携わる研究者の約60%が、解剖学、認知科学、コンピュータ科学、心理学、および倫理学という分野を横断する形で論文を発表している」という。欧米ではとくにビジネススクールで、「『消費者神経科学』をカリキュラムとして扱うところが2014年の時点で30か所もある」。この分野に関連する研究部署を持つ大学にはカーネギーメロン大、コロンビア大、ハーバード・ビジネススクール、ロンドン・ビジネススクール、MIT(マサチューセッツ工科大)など欧米の有力大学がひしめいている。
長い間、脳の活動を詳しく研究することなどSFや夢物語の世界だと思われてきたが、近年、検査装置や診断技術の発達で、脳の活動の様子がかなりの程度までわかってきた。fMRI(機能的磁気共鳴画像撮影)やPET(陽電子断層撮影)を使うと人間がものを考えたり、判断したりするときに脳のどの部分が活性化しているのか、脳内の特定の物質がどう動いているのか、ある程度イメージング(画像化)できるようになってきた。こうした情報をもとに人間がなぜ、特定の人や物を好んだり、選んだりするのか、科学的にも突き止められるようになってきたという。
薬物依存は脳の「強化学習」に関係する
たとえば、今、社会で大きな問題になっている薬物依存。「中毒を起こすような薬物」は脳内で「強化学習」という刺激を生じ、「即効性の強い薬物ほど、強化=依存状態が素早く形成」されるという。「薬物の本当の恐ろしさは『神経を接続して学んでいく』脳の機能を逆手にとって、抜け出せないループにハマらせる点にあります」。
禁止薬物に手を出して、いったん依存状態になってしまうと、そこから抜け出すのが大変ということだろう。コーヒーや酒、たばこなどは禁止薬物と違い、神経薬理作用が「そこまで強くない」ので、「中程度のレギュレーションによって大きな市場を築いています」。
本書は脳科学の基礎をおさらいしてマーケティングやコミュニケーション、医療・ヘルスケアなど広くビジネスに生かしていこうとするのが目的だ。
「なにかを買う時、脳はどのように情報を処理するのか」という節では、「商品の価値を見定める」プロセスをパブロフ型、習慣型、ゴール指向型の3つに分けて解説する。パブロフ型は条件反射、習慣型は学習で習慣化する、ゴール指向型は「ある目的の価値を計算・意図して働く」システムだという。
こうした研究が実際のマーケティングで、どの程度有効性を発揮できるのかはわからないが、マーケティングの手法も最新の研究成果を取り入れ、どんどん変化し、複雑化してきているということなのだろう。
脳卒中後の患者のリハビリへの応用例も
本書には内外の最新の研究が簡潔に紹介されている。ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)と呼ばれる脳神経技術では、慶應義塾大学のグループが脳卒中後の患者のリハビリにこの技術を応用している。脳卒中による麻痺が重度の場合、従来ならリハビリでは効果を上げるのが難しかったが、この研究では患者の脳波から「動きたい」という運動意思をくみ取り、補助ロボットで手の運動を支援したり、電気刺激を手に加えたりして、「末梢の運動神経が活動する」ことが期待できるという。こうした試みは海外でも行われている。
ただ、こうした研究がなんの制約もなく進んでいくことには疑問や不安もつきまとう。中にはちょっとうさん臭いのでは、と感じる人もいるだろう。
著者はこうした懸念や不安を解くために、「脳科学を応用していくうえで気をつけたい5つのこと」を提案する。①脳科学の限界を正しく認識する、②因果と相関を分離する、③再現性があるか確認する、④抽象的な概念は、その定義と指標化プロセス、機能的意義を含めて納得してもらう、⑤「ユーザーの課題解決に至るか?」を見極める、の5項目だ。
ややわかりにくい項目もあるので、関心のある人にはぜひ、本書を手にとってもらいたい。随所に専門用語が出てくるが、できるだけわかりやすく説明したいという著者の気持ちは伝わってくる。
読後の感想だが、入門者向けに簡単な専門用語の一覧表があるとわかりやすいと思った。また引用論文のリスト(ほとんどは英語)がそのページの欄外にあるのは親切だが、やはり日本語で読める参考文献のリストがあるとありがたい。われわれが脳科学やニューロテクノロジーと正面から向き合う時代が近づいてきているのだろう。そうした時代を前に、著書にはぜひ、新書サイズで手軽に読める入門書を書いてもらいたい。
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January 06, 2020 at 04:41AM
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